先日、小学生へ俳句体験という事で、黒板の前でおはなしとかしてきました。
というのがこの日に予定していた体験プランが台風接近のため中止に。
当日朝にお話いただきまして、俳句の師匠にボスケテ電話をかけましたが、「今回は僕のようなじぃさんよりも、あなたのように年が近い人がいい。がんばんなさい。」

(・ω'・;;;;;)<・・・・・。


という事で、隣町へ一人で行く宣教師の気分でした。
いったいどういう風に布教(???)したらとっつきやすいか、先人のお知恵を拝借しました。


しかし私自身が信心深く無いと思います。

これは問題です。

自分で楽しむ分にはイイですが、何も俳句に関する予備知識も関心も無い子供達に伝えるからには、何かあった時(言いたい事が伝わらなかったりとか、消しゴムちぎったのが飛んで来たりとか!?)にも自分の心が折れずに芯を通すような、自分なりの「俳句が好きなトコ」情熱が必要だなぁ…。
何だろう・・・俳句(´□`;;;)

そんな時パチンと…


車内にモンシロチョウが落ちてきました。
窓枠にぶつけてしまったようでした。
手で掬うと、まだ生きています。
チョウチョは、多分
命を生ききる事しか考えていません。

そこでハッと。。。

今、ここ、にある命、形、自然、風景、営み、生死、均整、不揃い、そういった全ての中に「輝く何か」を見つける事に、どうしようもなく惹かれる心。

そしてそれを 短さの中に表す術。
それが今の私にとっての俳句だ。たぶん、そうだ。
チョウチョは、目的地に着いたら、手から飛んでいきました。
感謝を伝えて手を合わせました。

お陰さまで、子供達におちついて話をする事ができました。
俳句は10人の子が知らないと言っていましたが、あとの5人は小林一茶の句を諳んじている子も居ました。
そして俳句の最初の決まり『575』と『季語』を伝えました。

身近な事、例えば今縁側から見えてるのは「柿若葉」春の季語だけど、秋に食べる「柿」は秋の季語になるんだよとか、子供達は果物の季節をよく覚えています。

師匠から教わったとおりの流れで、実際に作る所まできました。
5文字の季語をいくつか事前に準備して、それぞれ好きな季語で作句してみるようにと言うと、出て来る出て来る!!
「ちょwそれwおまwww」な句から仰天するような着眼点の句まで!!

子供は天才だと言うけど、本当にそうだと実感しました。

そして実は子供が苦手とか言っていたのが、食わず嫌いだったですよ!?
子供は皆素敵!!
4日間も子供達と過ごすと、今日はなんだか物足りないです。(^o^;)